一般的にTVアニメから映画化というと、地続きの続編か、TV版の映像を再編集したダイジェストか、もしくはパラレル設定の独立した作品になるか、のどれかになるイメージが私にはありました。
『アドゥレセンス黙示録』は、その全てが1本の映画に内包され昇華されてるんです。ウテナ&アンシーを始めTV版とは異なる設定を持つ登場人物が何人かいますが、全てTV版にあったモチーフや表現を再構成&より先鋭化させているに過ぎません。劇場版を作るにあたって新たに加えられたものというのは、実は何一つないのです。TV版に既に存在する要素だけを使って映画用に完全新作を創り上げ、更にTVシリーズ39話を掛けて語られたテーマを見事に表現しきっているのです。
この映画で最もインパクトのあるシーンで言えばやはり『ウテナが自動車になり、それをアンシーが運転して学園を脱出する』クライマックスの展開になるでしょう。剣と剣で戦う”決闘(デュエル)”という絵的にも映える設定がありながら、敢えてそれを使わずカーチェイスを持ってくる、大胆かつブッ飛んだ発想がたまりません!!
途中の妨害を仲間たちの手を借りつつ跳ねのけながら爆進するアンシー(withウテナ)の前に、最後に立ちはだかるは”王子様”こと暁生。ここでの二人のやりとりが、TV版を含めた『少女革命ウテナ』という作品の核を何よりも象徴していると思うのです。
暁生
「さあ、僕と一緒に帰ろう。生きながら死んでいられる、あの閉じた世界へ」
アンシー
「かわいそうに…貴方は、あの世界でしか王子様でいられないのね」
「でも…私は、ウテナは出るわ。外の世界へ」
暁生
「よせ。どうせお前たちが行き着くのは、世界の果てだ」
アンシー
「そうかもしれない。でも、自分たちの意志でそこに行けるんだわ」
暁生の都合の良い操り人形として散々弄ばれてきたTV版アンシーの事を思うと、劇場版アンシーのこの力強い言葉の頼もしさには胸が熱くなりました。私にはここでTV版最終回のアンシーと劇場版のアンシーが重なって見えたのです。TV版と劇場版は作品として断絶している訳ではない、むしろ地続きなんだと、私が確信している根拠でもあります。
最大の障壁・暁生すら退けて脱出した先の外の世界は、灰色の雲に覆われた空と荒廃した大地という夢も希望もない場所でした。しかし、道なき道を駆け抜けていくウテナとアンシーの顔は実に晴れやかで。
ウテナ
「ねぇ、これからボクたちの行くところは、道の無い世界なんだ」
「そこで、やっぱりボクたちはダメになるのかもしれない」
アンシー
「ウテナ…私、わかったの。私たちは元々、その外の世界で生まれたんだわ」
ウテナ
「じゃあ、ボクたちは元いたふるさとに帰るんだね」
「ボクもわかったよ。どうしてキミがボクを求め、ボクが君を拒まなかったかが」
「ボクたちは、王子様を死なせた共犯者だったんだね」
影絵少女
「そうよ、外の世界に道はないけれど」
「新しい道を作ることは出来るのよね」
ウテナ
「だからボクらは行かなくっちゃ。ボクらが進めば、それだけ世界は広がる。きっと…」
TV版では離れ離れになってしまった二人が、劇場版では共に手を取り合い外の世界へと飛び出していく。
これ以上のハッピーエンドが、他にあるんでしょうか?
たとえその先に何が待ち受けようと、友人、いや恋人以上に固い絆で結ばれた二人なら、きっと新しい世界でも強く生き抜いていくことでしょう。
『アドゥレセンス黙示録』は、私に「TVアニメ発の映画ってこういう作り方も出来るんだ」という驚きと発見を与えてくれました。私はこの劇場版を味わうためにTVシリーズを見てきたんだと思ってしまうくらい、圧倒的な作品でしたね。
正直に言うと、私はTV版より劇場版のウテナ&アンシーのビジュアルの方が好みなんです。特にストレートヘアのアンシーが本当に可愛くて…
挿入歌「時に愛は」をバックに夜の庭園で二人が舞い踊るシーンはまさに極上。あそこだけは映画館の大きなスクリーンと最高の音響で見てみたかった、それだけが悔やまれます。