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【Archive】小説版イース1・2/飛火野耀

 イースの小説版について調べていた時に、まず最初に知ったのが飛火野版イースの存在でした。ネットにある概要を読むだけでも原作から相当に逸脱した内容であることが明らかで、「ここまで違うのはちょっとなぁ~」と手を出しあぐねていたのは事実。しかしその後実際に飛火野版イースを読んだ人からの話を色々聞いていくうちに、段々と興味が湧いてしまって(笑)、半分ネタのつもりで購入に踏み切りました。ちょろい。

 中身を読む前にイース1の裏面に書かれた飛火野氏のプロフィールに目を通した所、そのあまりの電波っぷりには軽く眩暈が…(苦笑)「私、この本ちゃんと読み通せるのかな」と謎の不安に駆られましたが、結果としては杞憂に終わりました。
 ”原作の内容に全く忠実ではない”という点さえ飲み込めれば、読み物としての出来は非常に良かったからです。

 以下、ネタバレを含む感想。
【イース1 失われた王国】
 まず面食らったのがアドルの苗字です。飛火野版では「アドル・クリスティン」ではなく「アドル・クリスティーン」なんですよね。些細な違いではあるんですが、もうこの時点で「原作のアドルとは別人ですよ」と牽制された感があります(笑)。他の原作から拝借してるキャラクターの名前には手が加えられてないので、わざとなのかなぁと思ってます。
 ですが、私は飛火野版のアドルの描写がとても好きなのですよ。原作ゲームではヒロインから一方的に好かれるばかりのアドルですが、この小説では明確にアドルの方からフィーナに惚れているんです。1冊目のイースの書を入手して早々、全てが終わった後にフィーナと幸せに結ばれる妄想をして浮かれてみたり(笑)、アドルは事あるごとにフィーナを心の支えにして自身を奮い立たせています。しかし中盤でフィーナにはケヴィンという許嫁がいることが明かされ、それを知ったアドルは深く傷つきます。その心の弱みに付け込まれるように、敵の罠とも知らずに行きずりの女の体に溺れていく…いやはや、この場面の文章表現の巧みさには思わず唸らされました。
 フィーナへの淡い恋心に翻弄され苦悩するアドルの姿はある種の滑稽さもありつつ、哀愁と慈しみを感じずにはいられません。このどうしようもないくらいに人間らしさに溢れたアドルこそ、飛火野版イースの魅力ではないでしょうか。その点ではOVAイースとアプローチが似ているような気もしますね。

【イース2 異界からの挑戦】
 まさかの続編。タイトルこそイース2ではありますが、内容は原作ゲームでいう3…フェルガナ冒険記編のノベライズになっております。ややこしい!(笑)
 そして主人公は前作アドルの息子、父と同じ名を持つアドル・クリスティーン。もはや「お前は誰なんだ、ただのオリキャラとちゃうんか」と言いたくもなりますが、このイース2も原作から固有名詞を拝借しただけの別物と化していることはお察しの通りです。
 前作との大きな違いは世界観の転換でしょうか。前作から一応は剣と魔法のファンタジーの世界観を保っていたところに、突如SF要素がぶっこまれるのが飛火野版イース2です。サブタイトルの「異界からの挑戦」というのは、つまりはそういう事なのです。
 この中世ファンタジー世界観にSFを持ってくる手法、どこかで見たような気がしませんか?同じファルコム作のゲームで、似たようなシナリオを持つ作品があります。そう、『ドラゴンスレイヤー英雄伝説(1&2)』です。更に言えば、親子2世代の物語という共通性もあります。飛火野氏、実は英伝からもインスピレーションを得ていたのではないだろうか。

 バレスタイン城最上階で書物に囲まれて一生を研究に捧げるチェスターの姿は、イース1のラストでアドル(父親)が取り得たかもしれない未来のifだと思うと、興味深いものがあります。
 1アドルの壮絶な最期には正直ショックを受けましたが、2アドルがフェルガナを旅立つ際の父は、土に、水に、風になって、あらゆる所で自分を見守っているのだ。という一文には救われる思いでした。ただ残酷に殺されただけで終わりにしなかったところは良かったと思うのです。


 『イース大全書』でのインタビューにて、飛火野氏はこのように語っています。



(ゲームと小説の関係について聞かれて)
 ぼくの狙いは、小説『イース』がゲームの存在によりかかるのではなく、それ自身の力で自立して存在できるようにすることでした。もちろんこの作品のオリジナルはゲームの『イース』にあるのですが、今や『イース』とはただ単に特定のゲームを指すだけではなく、様々なメディアを横断してひろがり、人々に共有される一つの世界の呼び名だといえるでしょう。その意味では、小説化にあたってゲームのディティールに必要以上にこだわることは、かえってその世界のひろがりを狭めることになったでしょう。原型としての物語の周囲には、無数の豊かなヴァリエーションがあるのです。



 実際、飛火野版イースは原作の知識がなくとも読めるものとなっております。それは原作の存在を"軽視した"からそうしたのではなく、むしろ"尊重した"からこそやったことだと彼は言う訳です。
 (私がプレイしたのはPCE版ですが)原作ゲームが表現したイースの世界観というのは、本当に必要最低限に留まってるんですよ。それは当時のゲームの表現力や容量の限界によってそうせざるを得なかった訳ですが、そのことがかえってプレイヤーの想像力を掻き立てたと思うんです。そうやって各自で自由に思い描くべきイースの世界を、「原作に忠実な」ノベライズによって固定化されるのを避けた…と受け取るのは好意的に過ぎるでしょうか(笑)。

 プロフやインタビューで見せる電波な素振りとは裏腹に、飛火野氏の作家としてのセンス・力量は確かなもので、イース以外の著書もぜひ読んでみたいなと思わせるものがありました。
 個人的には、「原作準拠では決して見る事が出来なかっただろう」アナザーなイースの世界を見せてくれたことには価値があると思いました。原作と違うことをやることで、逆に「なぜ原作はそうしなかったのか」という考察にも繋がるので。

プロフィール

明日から本気出す
HN:ぷにょにょん(仮)
レトロゲームをネタに妄想を滾らせることを生き甲斐にする拗らせオタク。二度とは戻らぬあの頃に思いを馳せては感傷に耽っている

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