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【Archive】白き魔女~もうひとつの英雄伝説~[SS]

SS版白き魔女 もうひとつの英雄伝説
 『白き魔女~もうひとつの英雄伝説~』は、イセルハーサ編から始まった英雄伝説シリーズの3作目にあたり、ガガーブトリロジーと呼ばれる3部作の初作でもある『英雄伝説3 白き魔女』のセガサターン移植版になります。移植を手掛けたのはPCE版イース・英伝でおなじみのハドソンです。
 PCE版イース・英伝はそのハードの強みを生かしたアレンジ…アニメチックに描き直された新規グラフィックやムービー、豪華声優によるキャラボイスの追加、CDDAで再生される高音質のBGMなど、原作の忠実な移植のみならず+αの要素を加えて高い評価を得てきました。
 特にPCE版ドラスレ英伝2はそうしたハドソン独自のアレンジが私の嗜好に見事ハマり(笑)、その後しばらくファルコム沼に浸かるキッカケとなった訳であります。
 そしてこのSS版白き魔女は、そのハドソン独自アレンジ移植路線の一つの到達点と言えましょう。そう、原作ファンからは”黒歴史”とまで称されるほどに…PCE版イースやドラスレ英伝とは比較にならないほどの別物と化していたのです。

 SS版と原作の違い、ざっくりいえばストーリー以外全てです。
 キャラクターデザインはそえたにかずひろ氏の手によって一新され、一部のキャラを除いて原型をほぼ留めていません。私は原作を未プレイで、白き魔女はSS版だけしか知らない人間ですが、原作のキャラ集合イラストを見ても誰が誰なのかさっぱりわからないのです。
 SS版では随所にアニメーションムービーが挿入されており、出来は(当時としては)充分に良いものです。原作の繊細なデザインをそのままアニメに起こすのは難しい、ならば最初からアニメに適したキャラデザを別に用意するというのはそれほど間違った方法論ではないとは思います。ただ、ここまで雰囲気を別物にする必要があったかはちょっと疑問ではあります。原作よりも対象年齢を引き下げたい目的でもあったのでしょうか?
 ゲーム中の画面はトップビューからクオータービューに代わり、戦闘システムもシンプルなターン制コマンドバトルへ変更されました。平時のBGMはサターンの内臓音源で鳴らされ、アレンジとしては無難な印象。アニメムービーやボイスが流れるイベントではPCE版イース・英伝で猛威を振るった名アレンジャー・米光亮氏が手掛けた音源が流れますが、単品で聴くことは出来ません。SS版仕様のサウンドトラックが出ていないのが残念です。

 とまぁ原作との違いを分かる範囲でつらつら書いてきましたが、この辺は原作未プレイの私にとってはそこまで問題ではありません。最初から「そういうもの」として見ればいいからです。原作からの改変という点を無視すれば、ゲームデザイン自体は嫌いではないですし、90年代アニメチックな絵も私の世代からすれば(笑)全く受け入れられないというほどでもないので。
 世間の不評を知りながら敢えて原作ではなくSS版の白き魔女を選んだのは、私が英伝にハマったのがハドソンの手掛けたPCE版移植作からであり、その流れを汲んだ最後の”ハドソン流”英雄伝説を見ておきたかった…というのが最大の理由であります。

 以下、ネタバレを含む感想。
 ガガーブトリロジー、世間では主にシナリオへの評価が高いゲームとして知られています。ただ、そのシナリオの何が良いのか、ネタバレをなしに知ることは難しいものでした。
 興味は当然ありましたが、ドラスレ英伝とは世界観も雰囲気もまるで違う作品群、手を出すかどうかは実は相当に迷いました。1作でも相当にプレイ時間を要するゲーム、それが3作分ある訳ですから。真っ先にSS版をプレイしたのは上記の理由の他に、「もし自分に合わなければ白き魔女1作でガガーブは終わりに出来る」とも考えたからでした。

 思えば、私が英雄伝説2で最も気に入っていたのは「キャラクターの人の良さ」でありました。
 真偽に関わらず、困った人を放っておけない優しさ。当たり前のように他人の為に行動し、正しいと信じた道を迷いなく進む。それが一国の王子であっても、成金のお嬢様であっても、魔法を失敗してその辺にスライムをまき散らすオッサンであっても(笑)、仮面を被った正体不明の大男であっても。
 彼らのどこまでもお人良しな所が、どうしようもなく好ましくて仕方なかったのです。

 ゲーム序盤、ジュリオとクリスはニーリの町で早速銀の短剣を紛失してしまいます。
 落とした場所はどうやら橋の下、広い水路に沈んだ小さな短剣を見つけるにはどうすればいいのか。困り果てたジュリオとクリスに救いの手を伸ばしたのは、他でもないニーリの住人達でした。見ず知らずの二人の為に、町の住人達が総出で水路の中へ入り、銀の短剣探索に乗り出してくれたのです。
 私はこのイベントを見た時、正直「ありえない」と思いました。いくらなんでも親切が過ぎるだろうと。でもこの世界の人たちにとっては、それが「普通」なんですね。
 イセルハーサ編とガガーブトリロジー、舞台は違えど描かれているものは一緒だったんです。
 人が持つ優しさと強さ。誰の心にもそれが当たり前に存在する世界。

 その究極がエンディング、白き魔女ゲルドが自分の魂と共にラウアールの波を消滅させたあのシーンに集約されるでしょう。
 「なぜ、お前はそんなにも優しくなれる?」「この世界がお前に何をしてくれたというんだ…?」というデュルゼルの台詞は、私の心境そのものでした。異界側の人間であるゲルドが、どうして自分の身を犠牲にしてまでこちらの世界の人間を救ってくれたのか。その理由が今作で語られることはありません。
 ただ、それまでのジュリオとクリスの巡礼の旅を見てきて、何となくわかるような気もしました。ゲルドもまた、旅の過程でこちら側の世界の人達の優しさに触れることができたからではないか。自分の全てを投げうってでも救うに値する世界だと信じられたからではないかと…。私の勝手な憶測でしか、ありませんが。
 
 異界絡みの事情は、この後に続くガガーブトリロジー…朱紅い雫や海の檻歌で明かされるのかもしれません。ゲルドの真意を知るためには、どうやら次作以降もプレイしなければならないようです。
 1作で終わるつもりが、長い長い旅路の一歩を踏み出すハメになるとは…してやられたとしか言いようがありませんね(苦笑

プロフィール

明日から本気出す
HN:ぷにょにょん(仮)
レトロゲームをネタに妄想を滾らせることを生き甲斐にする拗らせオタク。二度とは戻らぬあの頃に思いを馳せては感傷に耽っている

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