2018/07/15
シャイニングシリーズや黄金の太陽、そしてドラゴンマスターシルクなど、私に多大な影響を与えたゲームの多くに関わっていたイラストレーター・梶山浩氏が先日に亡くなったという報がありました。
最初にそれらしき情報がツイッターに流れてきたのを見たときは、何かの悪い冗談だと思いました。
しかしその後本人のアカウントで息子さんが訃報をツイートし、いくつかのニュースサイトにも取り上げられ…それが紛れもない現実であることを否が応にも突き付けられることとなりました。
一時中断中であったとはいえ商業誌で新作ファンタジー漫画の連載も始めていましたし、現在放送中のアニメの小道具デザインを務めるなど、つい最近まで精力的に仕事をなさっていたので、本当に信じられない思いです。しかしクリエイターとしての活動年数を考えれば、氏が結構なお年であろうことは推測出来ましたし、噂では何かしらの病気も抱えていたというお話でした。言い方は悪いですが、”いつどうなってもおかしくない状態”ではあったのかも…しれません。
ちょうど一年前のことです。
私はとあるきっかけで「モルドリアン」というゲームの存在を知りました。
モルドリアンの絵を初めて見た時は本当に驚きました。シャイニングとはまた違ったタッチの絵柄でしたが、あれは間違いなく梶山氏の絵だと確信しました。
しかし確認のためEDのスタッフロールを見てみると、キャラデの欄には全くの知らない名前。「梶山氏以外にもこういう絵を描ける人がいたのか…」と更に驚いていたんですが、よくよく調べてみると氏には今とは別名義で活動していた時期があり、モルドリアンではそちらの名前が使われていたという事実が判明。自分の認識は間違っていなかったという安堵と共に、「この絵を描ける人が氏以外にそうそういるはずない」と、ひどく納得した覚えがあります。
そうです、梶山弘氏の代わりなんて誰にも務まりません。
唯一無二の才能を持った、私の尊敬するクリエイターの一人でした。
特にシャイニング・ウィズダムやドラゴンマスターシルク、この2作は氏が関わっていなければ私が手に取ることはなかったと思います。
私の大好きな作品を世に生み出してくださって、本当に感謝しています。
ありがとうございました。
最初にそれらしき情報がツイッターに流れてきたのを見たときは、何かの悪い冗談だと思いました。
しかしその後本人のアカウントで息子さんが訃報をツイートし、いくつかのニュースサイトにも取り上げられ…それが紛れもない現実であることを否が応にも突き付けられることとなりました。
一時中断中であったとはいえ商業誌で新作ファンタジー漫画の連載も始めていましたし、現在放送中のアニメの小道具デザインを務めるなど、つい最近まで精力的に仕事をなさっていたので、本当に信じられない思いです。しかしクリエイターとしての活動年数を考えれば、氏が結構なお年であろうことは推測出来ましたし、噂では何かしらの病気も抱えていたというお話でした。言い方は悪いですが、”いつどうなってもおかしくない状態”ではあったのかも…しれません。
ちょうど一年前のことです。
私はとあるきっかけで「モルドリアン」というゲームの存在を知りました。
モルドリアンの絵を初めて見た時は本当に驚きました。シャイニングとはまた違ったタッチの絵柄でしたが、あれは間違いなく梶山氏の絵だと確信しました。
しかし確認のためEDのスタッフロールを見てみると、キャラデの欄には全くの知らない名前。「梶山氏以外にもこういう絵を描ける人がいたのか…」と更に驚いていたんですが、よくよく調べてみると氏には今とは別名義で活動していた時期があり、モルドリアンではそちらの名前が使われていたという事実が判明。自分の認識は間違っていなかったという安堵と共に、「この絵を描ける人が氏以外にそうそういるはずない」と、ひどく納得した覚えがあります。
そうです、梶山弘氏の代わりなんて誰にも務まりません。
唯一無二の才能を持った、私の尊敬するクリエイターの一人でした。
特にシャイニング・ウィズダムやドラゴンマスターシルク、この2作は氏が関わっていなければ私が手に取ることはなかったと思います。
私の大好きな作品を世に生み出してくださって、本当に感謝しています。
ありがとうございました。
以下は私の氏に対する個人的な語りです。
ツイッターで私と氏が相互フォロー関係にあった時、何度かリプライを交わす機会がありました。
自分の他愛のない呟きに、氏が反応してくれたのが本当に嬉しくて…
私がシャイニングシリーズやシルクの絵を上げていたのも、おそらく目には入っていたと思います。それは氏にとってはあまり好ましいものではなかったかもしれない…私は自分の描きたいように、好き勝手に描いていましたから。
私がシャイニングや黄金、シルクの絵を描き続けていたのは、自分がそれらのファンであるということを世間に表明したかったからでした。過去の遺物だのオワコンだの言われようが、私は今でもずっと大好きだと。長らく公式に動きもなく新作も出そうにないけれど、ここに需要はあるんだと、私なりのささやかな主張だったのです。その程度じゃ誰にも何の影響も与えないとわかっていても、やらない訳にはいきませんでした。
そんな私にとって、梶山浩氏の訃報は何を意味するのか。
それは、私の愛した作品がもう二度と当時の姿では帰ってはこないということ。
例え氏が生きていたとしても、私の願いが実現する可能性はゼロに近いものであったかもしれません。それでも、「もしかしたら」「いつかは」というわずかな希望すら潰えてしまいました。
今の私の胸の内にあるのは、深い絶望と後悔だけです。
私は今まで何をやっていたんだろう。何が出来たんだろう。何をすべきだったんだろう。
悔やんでも、悔やみきれません。